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ししゃもについて

ししゃもを、心の底から美味しいな~と思いながら食べた記憶がない。

ししゃも漁に従事されている方、ししゃもの流通、販売に携わっていらっしゃる方には大変申し訳ないが、ふと「今日はししゃもを食べたいな」と思ったことがない気がする。
例えば居酒屋でメニューにししゃもの焼いたやつがあったとして、お、良いね、10匹くらい頼んじゃおうかな、とは思わない。今日はまあ、わざわざ頼まないでもいいかな、と思う。
今日は、というか、毎回そう思うので、結果として、永劫ししゃもを注文する機会は訪れない。

子供の頃は給食に出てきていたので、否が応にも定期的にししゃもを口へ運ぶタイミングがあった。
思うに、この、給食で供されたししゃもが曲者だったのではないか。
給食のししゃもは、まず、かなりの確率で冷え切っている。彼らは銀の缶かんみたいな容器に入って教室にやってくる。そして、給食係にトングで一人2匹ずつ配膳される。その過程でもう、完全に、冷え切っているのです。なんなら、夏場でもなんかちょっとヒヤッとしていた気がする。
夏にししゃも出てきてたかな? 覚えてないけど、でも、かなりそんな感じがするだろう。

冷え切っている食べ物が美味しいのは、それが冷やされることを前提として作られているか、能動的に冷やそうとせずとも、味が濃かったりして、冷えても偶然喫食に耐えるものであったかの二通りである。言うまでもないが、ししゃもは、そのどちらでもない。

同じ小魚でも揚げたてのワカサギなどは想像するだけで、あら、いいですね~と思えるのに対し、給食のししゃもは、どこかへ目を逸らしたくなる。この違いはそのまま温度の違いだ。
給食で出てくるのが、焼きたてほかほかのししゃもだったら。
今抱いているししゃもへの印象は、全く違うものになっていたかもしれない。

嘘です。
今まで食べて来た全てのししゃもがほかほか焼きたてだったとしても、多少良い方向に変わっていた可能性はあるものの、大筋としての印象は変わらなかったと思う。居酒屋でも注文しない。
ししゃもには温度以外にもたくさん相容れないポイントがあるからだ。

まず、ししゃもは大抵子持ちだ。あれが良くない。
身の部分と卵の部分、どちらが良いかと問われると、まあ卵の方かな~、とは思う。というか、ししゃもに身ってある? どう? なんか、頭からしっぽにかけて全体的に、身というよりもワイヤーっぽい感じがして、骨と皮が口の中に残るので、それらに比べればどちらかというと卵の方が良いような気がするけれど、でも卵単体を取り出してタラコやイクラカズノコみたいに食べたいかと言われると別に全くそうではない。魚卵の中でししゃもの卵が一番好きな人はこの世に居ない。そもそも、子持ちのししゃもだけが選り分けられて食卓に上っているのがまず変じゃないですか。我々はその恣意性に一度目を向けた方が良い。

あとししゃもは苦い。そう、味。味である。固いし、乾いているし、苦い。後味がずっと苦い。
どこから食べてもどこかが苦い。給食の話に戻るが、通っていた小学校では誰が言い出したのか、ししゃもを頭から食べるかしっぽから食べるかによって効能が違う、みたいな迷信が、まことしやかに語られていた。頭から食べれば賢くなる。しっぽから食べれば足が速くなる。
なんだそれは。「たいやき、しっぽから食べる? 頭から食べる?」なら、まだ分かる。
頭としっぽじゃ餡子の量がちょっと違うからね。どっちから食べても甘くて美味しいし。
でもししゃもは。ししゃもは違うじゃないか。ししゃもはどっちから食べても苦い。頭の方が苦い? いや、しっぽの方もなんか焦げてて苦いのである。モソモソするし。頭が良くなろうと、足が速くなろうとできればどちらからも食べたくないんです。大人ってそういう機微が分かんないんだよな。

そして、まだある。ししゃもはご飯が進まない。
ご飯のお供トップ10、みたいな話題でししゃもが出てきたことがあるか。ない。
ししゃもは油分に乏しい。ツナマヨ。焼き鮭。カルビ。ご飯に合う食べ物は適度な脂質を含んでいる。食べるラー油なんてもうほぼ油だし。ししゃもはどうか。ジューシーな、油の滴るようなししゃもを見たことがあるか。ない。もしかしたら世界にはそういうししゃもが居たりするのかもしれないがテレビやなんかでも「このししゃもの脂が絶品」みたいな紹介のされ方をしているのは見たことがないから多分そんなものは居ない。ご飯に合う合わないで思い出したが、となりのトトロのサツキがお弁当を詰めるシーン。朝ごはんの時間、自分の分のお弁当が準備されていることに興奮したメイがドタドタと足を鳴らしお父さんに窘められるあのシーンで、サツキが詰めているお弁当ではなんとししゃもがメインを張っている。諸兄はユーチューブで「見るだけでお腹が空いてくる! ジブリアニメの料理・食事シーン集」のようなものを見たことがないだろうか。千と千尋の神隠しでお父さんとお母さんが貪る中華料理とかカルシファーの作るベーコンエッグとかラピュタの目玉焼きパンとかに紛れてししゃものお弁当が出てくることがあるけれど、あれが本当に納得いかない。別にサツキちゃんの作るお弁当に文句があるわけではない。しかしどうしてもその他の料理に比べて、ししゃものお弁当を見るだけでお腹が空いてくることはないだろう、と思ってしまう。ししゃもはご飯が進まないからなあ!!!!!!!

興奮してきた。
こうやってひとつの食べ物への批判を執拗に繰り返すとよく出てくる反論として「本当に美味い○○を食べたことがないんだよ」というのがある。この反論について反論する。
ウニだったら分かる。ウニは当たり外れがあるから。あとフォアグラとか。
30年余り生きてきた経験則として、一般に高級食材と呼ばれているもので、しょっぱなで口に合わないと思った場合、それはその食材の鮮度が悪いか調理法が悪いかとにかく何かしらの不具合を疑った方が良い。
でもししゃもは?
週刊少年ジャンプハンターハンターという漫画に、戦闘の勝敗について当事者同士のポテンシャルとコンディションを図解するシーンがある。これです。

ABCDE、それぞれ戦闘力にぶれがあるとして、コンディションの良し悪しによっては実力的に劣るCだってDに勝てるときがある、というわけだ。分かりやすい。
仮に絶不調のハンバーグと絶好調のししゃもを戦わせてみるとする。もしかしたらししゃもでもハンバーグに勝てるのではないか。そんなししゃも派の一抹の期待をよそに、申し訳ないが、答えは否である。
この図でいうとEがししゃもで、Dがハンバーグだ。「本当に美味い○○を食べたことがないんだよ理論」にはこういう穴がある。絶好調のししゃもは、「ししゃもにしては」美味いだけなのだ。ハンバーグには勝てない。
あいつはあいつなりに頑張ったよ。誰かがそういう慰められ方をしているのを見たことがあるだろうか。あるいは、そういう慰めを受けたことがあるだろうか。あなたたちが、ししゃもや、そのほかの「本当に美味しい○○」に強いているのはそういう残酷さである。

と、ここまで書いておいて結局あんまりししゃもについて知らないな、と思ったのでざっとググってみると、なんと我々の知っているししゃもは実はししゃもではないということがわかった。
カペリンというししゃもに似た小魚。カペリンは別名カラフトシシャモといって、本物のししゃもが乱獲で数を減らしたため代替魚として流通することになったらしい。現在ししゃもとして全国の食卓に上っているのはほぼ全部カペリンで、本物のししゃもはもう北海道にいかないと食べられない。この記事の中でもう50回くらいししゃもって書いちゃったけどそれらは実際全部カペリンへの文句だったというわけだ。なんなんだよマジで。

カペリン

でも良かった、今まであまりよく思ってなかったししゃもはししゃもじゃなかったわけで、本物のししゃもは我々の知るししゃもよりもしかしたらもっとずっと美味しいのかもしれない。

ししゃもについての不満で原稿用紙10枚書くぞ、と思って書き始めたはいいけれど最後に変な情報を掴んだせいで何が言いたいのか宙ぶらりんになってしまった。賢い人ならここからちゃんとオチをつけるんだろうが何も思い浮かばない。
小学校の頃にちゃんと頭から食べておけば良かったなあ!!!