マンブローグ

mannのweblog マンブローグ

クラクション

f:id:iimannamii:20201118213929j:plain
細い路地で道を譲ってくれた軽四に対し、おじさんはハンドルの中央を撫でるように2度叩いた。スタッカートの効いた、鼓膜に快く弾むクラクションの音は確かに「ありがとう」と響いた。
「おじさんのクラクション、喋ってるみたいだ」
僕が思わずこぼすと、おじさんは前方を注視しつつ、穏やかにハンドルを操作しながら言った。
「それは最高の褒め言葉だな」

おじさんの運転する車の助手席に乗ったのは片手で数えられるほどしかないが、思えばおじさんはいつもどこかのタイミングでクラクションを鳴らし、そのどれもがそれまで聞いたことのない響きをしていた。
「どうやったらそんなクラクションを鳴らせるの?」
いつかのドライブ中、おじさんにそう尋ねたことがあった。スーパーの駐車場から車道へ出てこようとするワゴン車への「どうぞ」のクラクションが、余りに「どうぞ」過ぎたからだ。
「俊ちゃんはこの前もおじさんのクラクションを褒めてくれたね。運転しながらだとちょっと説明しづらいな、コンビニに寄ろうか」
おじさんはセブンイレブンでアイスコーヒーを買ってくれた。ブラックコーヒーは苦すぎて飲めないのでクリームとシロップを2つずつ入れたら笑われた。イートインスペースがいっぱいだったので車に戻り、ドアの窓を全開にして2人でコーヒーを啜った。夏になる前の暑すぎない日の光が僕らの顔の半分を照らしていた。

「クラクションってのは、ハンドルの真ん中のクラクションバッグを押す強さと長さで音色が変わる。まあウィンカーやドアミラーと同じ自動車の部品だから、いくら強弱がつけられるといっても、もちろんトランペットのように繊細じゃない」
うん、う〜ん。まだ苦いな〜。2つずつじゃ足りなかったな〜。
「でもね、音の強弱とタイミング次第で、そこに“心”を乗せることができる」
「心?」
テクニックの話じゃなくて精神論なのか、もしそうなら少し残念だな〜。
「今ちょっと胡散臭いな、と思っただろ。俊ちゃん、大人にはそういうの表情で大体わかるからな。でも、そうとしか言いようがないんだよ。おじさん、免許取り立ての頃、クラクション鳴らすときめちゃくちゃ色々考えてたんだ、タイミングとか、強さとか、長さとか」
おじさんはコンビニの中の時点ですでに半分くらい減らしていたコーヒーを一気に飲み干そうとしていた。ズズッ、ストローの先が空気を巻き込む音がした。
「でも、結局考えた分遅れるし、力むんだよ。全然思った通りの音が出ない。だから、何も考えないようにした。クラクションは、気持ちが動いたときに、反射で鳴らすんだ。
割り込みさせてくれてありがとうなら感謝の念が湧いた瞬間。おい今の危ねえだろ、なら抗議の念が湧いた瞬間。その刹那にハンドルの真ん中を叩くんだ、すると──」

“おっ久しぶり!”

おじさんがいきなりクラクションを鳴らした。コンビニの前に設置された灰皿の横で、今まさに煙草に火をつけようとしていた知らない中年男性が、驚いた顔でこちらを見ていた。
「知り合いだ」
おじさんは車から飛び出し、中年男性と何やら親しげに会話をしてから戻ってきた。おじさんが言った。
「急にすまなかった、ところで俊ちゃん、さっきのクラクション、なんて聞こえた?」
「いや、めちゃくちゃ“おっ久しぶり”って聞こえたんだけど…… えー? ちょっと気持ち悪いな」
信じられなかったが、ただの“久しぶり”ではなく、しっかり“おっ久しぶり”と聞こえたのだった。クラクションの音なのに。
「ちゃんと“おっ久しぶり”と思った瞬間に鳴らしたからな。そう聞こえただろ」
「え〜? マジで?」
「マジマジ」
マジか〜。こんなこと本当にあるんだな。
「じゃあさ、おじさん、タンバリンとか、打楽器もめちゃくちゃ得意なんじゃないの? 音だけでそれだけ表現できたらすごいじゃん」
おじさんは悲しそうに首を振った。
「駄目、おじさんリズム感全くないから。得意なのはクラクションだけ」
マジか〜。

おじさんは母さんの妹の旦那さんだったから、両親が離婚して、僕が父親についていくことになってから全く会わなくなった。平成から元号が変わった2年後の話だ。もう20年以上前のことになる。
この、おじさんのクラクションのエピソードが果たして僕にポジティブな影響を及ぼしたか? (例えば「クラクションは心で鳴らせ」とか分かりやすいコピーでもって、思い立ったが吉日とか、善は急げみたいな意味合いの教訓として、人生に刻まれたか)というと、残念ながらそうでもない。

車の免許を取ってから、自分でもおじさんの真似をしてみたけど、全然駄目だった。ほんと、全然。いくら叩いてもクラクションの音はクラクションの音で、やっぱり、何にでも才能ってものがあるのだろう。
もっとも、最近は自動運転ばっかりでクラクションを鳴らす機会自体、滅多にない。道を譲るのも、割り込みのタイミングも全て機械に制御されているし、万が一危なくなれば勝手にアラームが鳴る。今時、手動クラクションが標準装備されてる自動車の方が少ないんじゃないかと思う。

一昨日、弟の妻のお腹に赤ちゃんがいることがわかった。順調にいけば来年の5月には生まれてくるそうだ。弟たち夫婦は結婚して5年目で、不妊治療もしていたらしいから、喜びも一入だったのだろう。滅多にしてこない電話でその旨を伝えてくれた。声の弾み方で、静かに興奮しているのがわかった。

生まれてくる甥にはまず五体満足で、健やかにこの世に降り立ってほしい。そして、もし才能というものがあるなら。
どうか、何か役に立つものを持って生まれて欲しい。

おじさんのクラクションは確かにすごかったけど、時代に、技術の進歩に、淘汰されてしまった。
せっかく天から賦されるなら、もっと、こう…… なんというか、ね?

なんて、おじさんには口が裂けても言えないんだけど。